こんにちは。CAN!Pの粕谷です。
教育をもっと面白くするをスローガンに、民間学童保育や探究型のスクールを運営しています。
今日は、私たちの教育のテーマである「自己選択・自己決定」について思っていることを書いてみました。
学生と議論して感じたこと
先日、母校の大学のセミナーに講師として参加する機会をいただきました。
内容は仕事やキャリアを考える機会でして、私の分科会では教育をテーマに扱わせてもらいました。その時に日本の教育の課題について、学生と議論した時のことです。
ディスカッション中に、一人の学生が「今の若者は選択肢に溢れすぎていてむしろ困っている」と話していて「なるほど!」と思いました。
確かにこの10年で社会は多様な選択肢が本当に増えたと思います。たとえば、「仕事」を切り口にした場合、YouTuberやプロゲーマーのような好きなことがそのまま仕事になるケースもあり、他にもフリーランスとして仕事で離島に移住なんてことも、コロナを機会に増えていますよね。
今まであった一般的な仕事はどんどん減り、大手企業に就職をして定年まで・・・なんてことはほぼほぼない時代になったといえます。
学校も今後より選択肢に溢れてきそうです。地域の公立か、私立かといった学校選びの選択肢がどんどん増えるほか、高校や大学は世界のどのエリアか、もしくはオンラインかなんてこともどんどん出てきています。
また学校に行くか行かないかも選択肢の一つになることも十分あり得ます。フリースクールなども年々増えているように思います。放課後も、スポーツチームの選択から塾選びなど、多様な選択肢が充実しそうです。
一方でこういった選択肢に溢れるがゆえに、決定に困るわけです。迫られる選択肢のどれが自分にとって正解かどうかがわからないからですね。それは不安になりますよね。
選択肢の正解探しは成り立たない
現代の子どもにとってこれらの選択肢のどれが正解か?という問いはあまり成り立たないと思っています。というのも将来の予想がつかない時代であり、どれもその人の姿勢次第で正解になる可能性があるからです。
だからこそ日々自分で「考え」、「判断」し、「決定」するという練習を積み重ねていくことが求められているのだと思います。自身の納得解が出せるかが大事です。
そしてその決定には失敗が付き物であることを私たちは認識しなくてはならないのだと思います。受験に失敗したなんていうことはよくある事例ですが、その後、失敗を取り戻すことはいくらでも可能な社会です。
日々の子どもの決定に柔軟に受け入れてみましょう
私たちは、子どもの(もしくは一緒に考えた)選択・決定を、失敗するかもとわかっていても、ある程度受け入れる柔軟性が必要だと思います。
目先の正解を教えていくのではなく、失敗ありきでどんどん挑戦する姿勢を、大人側が理解してあげたいですね。
何度もいいますが、私たちが現時点で思っている正解は10年後不正解になる可能性が十分にあり得ます。彼らの意思をより尊重する子育て、教育を意識していきたいものです。
「自己選択・自己決定」ができる子に育っていくために。
ぜひ各ご家庭で考え、実践してみてください。