どこまで手を貸すか、見守るか

こんにちは!

CAN!Pスタッフの長﨑です!

みなさんは、お子さんが何かに取り組んでいる時に

「手を貸すか、それとも見守るか」

で迷うことはありませんか?

例えば、

算数の文章問題で悩んでいる。

夏休みの宿題で自由研究をしているけれど、進んでいる気配が一向にしない。

などといった状況。

手を貸そうか、もう少し見守ろうか、迷いますよね。

CAN!Pラボでも、似たような場面は多々あって、私たちスタッフも、日々頭を悩ませながら子どもたちと接しています。

正解こそありませんが、私たちもちょうどよい「手の貸し方」を追求しているところです。

そこで今回は、「手を貸すか迷ったとき」に私が意識していることを、CAN!Pラボの様子と照らし合わせながら書いてみたいと思います。

やってよかったと感じられるか

手を貸すか見守るか、貸すとしたらどのようにするか迷ったとき、私が判断基準にしているのは、その子がそのプロジェクトを「やってよかった」と感じられるかどうかです。

少し分解して説明します。

「やって」よかった

「やってよかった」の「やって」という言葉には、「自分でやって」というニュアンスがあります。

つまり、こちらが手を貸しつつも、子どもの中に「自分でやった感」がきちんと残るかということです。

やりがちなのは、サポートしすぎて「本人がやった感」がなくなり、「大人の言われる通りにした感」や「大人が全部やってくれた感」になってしまうことです。(これは、自戒の念も込めています…)

そうではなく、あくまでもその子自身が「自分でやった」と思える程度に。

そのために、CAN!Pラボでは、

「本人が自分で動き出せそうと思えるところまで手を貸す」や

「苦手なところだけ少し手を貸す」

といったことをよくします。

CAN!Pラボでのエピソードをお伝えします。

彼女はテンセグリティ構造をつかったモノづくりに挑戦しています。

テンセグリティ構造とは、糸の張力を使った不安定に見える構造のことだそう。

彼女の場合は、はじめからやりたいことが決まっていたわけではありません。

何をしようかと悩んでいて、自分では動き出せそうにありませんでした。

そこで、スタッフがいくつかやることの提案を出し、相談の上で、何に取り組むかを決めました。

その後は、彼女が自分で進めていけそうだったので、大人は手を引いて、見守ることに徹しています。

これまでも何度も紹介してきた、武器づくりの彼。

次は武器を売る万屋の屋台を作りたいとのことです。

彼の場合、組み立て作業は自分で進められる一方、設計に関しては手が止まり、表情も渋くなりました。

(苦手というより、経験値が少ないだけかもしれませんが!)

そこで、設計に関しては、大人が手を貸しました。

本人の完成イメージを聞きながら、一緒に設計図を書くところまでサポートしました。

しかしそれ以外は、ほとんど手を貸すことなく、彼の制作を見守っています。

やって「よかった」

もうひとつは、「やってよかった」の「よかった」の部分です。

これは、子どもが何かに取り組んだ結果、「やらなければよかった」ではなく、「やってよかった」と感じられるようにしたいという思いです。

なぜなら、例えどんなに子どもが「自分で」取り組んだとしても、最終的にうまくいかなかった場合、それは「自分でやったのにうまくいかなかった」という経験になり、次へのモチベーションを奪ってしまうからです。

逆に、「やってよかった」と感じられれば、それは次の一歩へつながる最強のモチベーションとなります。

そのために、あくまでも子どもの「”自分で”やっている感」を奪わない範囲で、「やってよかった」と思えるような結果になるよう、手を貸しています。

こちらも、いくつかエピソードを紹介します。

彼女はレジンできれいなアクセサリー作りに挑戦中!

実は、この球体のレジンアクセサリーを作るには、いろいろなコツがあって、説明書通りにやってもうまくいかないことがあります。

そこで、彼女のはじめてのレジンアクセサリー作りが、「うまくいかなかった」という経験にならないよう、今回はレジンの扱いに慣れたスタッフがそばでサポートしながら進めました。

最終的にすてきなアクセサリーができて、彼女も満足した様子。

次回作ることを楽しみにしています。

彼は、「動く乗り物をつくりたい」と私に話してくれました。

しかし、乗り物というのはこれまでのプロジェクトの中でもかなり難易度が高く、本人の力だけでは達成できそうにありません。(大人ですら難しい…)

しかし、私たちとしては彼に

「やってみたいことに挑戦しても、結局自分にはできなかった」

という経験ではなく、

「たとえ難しそうでも、協力すれば実現できる」

という経験をしてほしいと思いました。

そこで、彼のプロジェクトについては、情報集めや設計など、大人もしっかり手を貸しています。

おわりに

今回は「手を貸すか、見守るか迷ったとき」に私が考えていることをまとめてみました。

ここまで書いたように、私は「(子ども自身が)やってよかったと感じられるか」を判断基準にすることが多いです。

しかし、その一瞬一瞬で最適な関わり方は様々です。

そもそも、状況によっては、判断基準は一つではないはずです。

そのため、本当に子どもたちのためになる関わりとは何なのか、私たちも日々迷いながら模索しています。

いずれにせよ、子どもたちにとって一番よい関わりをするための引き出しがたくさんあるにこしたことはないとも思っています。

私たち自身も探究しながら、子どもたちを見守り、時には手を貸し、彼らの成長を支えていきたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!