おはこんばんにちは。福岡市城南区の探究学習スクールの鈴木です。子どもたちといっしょに「やりたい!」を実現させる塾をやっています。
今回のテーマは「意志」についてです。
またまたむずかしそうなテーマ、、、
私の原体験をもとに、「意志」ってなにものでどうサポートすることができるのかを考えていきます!
それでは、どうぞ!
「意志」ってなにもの?
そもそも、なぜ「意志」をブログにしようと思ったのか。
それは私たちCAN!Pが掲げるビジョンにありました。

「自らの意志で選択し、決定できる人」を育てる(または育ってもらう)のが私たちCAN!Pの目指すところであります。
今日の晩御飯はからあげかハンバーグか
あるいは進路選択はどの学校にするのか
といった選択や決定が人生にはつきものです。
その選択や決定に「意志」があるとどんないいことがあるのかを考えていきます。
さて、今回のテーマにあつかうのは「意思」ではなく「意志」です。
区別をするためにそれぞれの意味合いをお示しするとこんな感じです。
意思:自分が考えていることや思い
意志:あるものごとを成し遂げてやろうとする“積極的な”気持ち

「やってやるぞ!」「なしとげてやるぞ!」
もっといえば
「全国大会にいくんだ!」とか
「テストで100点とった自分になる!」とか
ある一定の「成しとげたいもの(達成目標)」があること、そして目標に向かおうとする気持ちのことを「意志」といいます。
「意志」がある選択・ない選択
いったん「意志」がある選択とそうでない選択を分けて考えてみます。
意志がある選択とは
・カップケーキを作ってみたいから自分で材料を調べてみる
・小学校でイベントをやってみたいから、先生に提案してみる
などです。
一方で意志がない選択は
・以前失敗したから、スケートに参加するのはやめておこう
・ゲームをしている方が楽でおもしろいから、ゲームをしよう
という消極的なものもありますし
・歯みがき
・顔をあらう
といった習慣的なものもあげられます。
意志がある選択をし続けられるとより「自分を生きる」ことにつながることから、

ではこの「意志」ってどこから生まれるんでしょうか?
今回は、私の「意志をもった(といえる)」「意志をもてなかった(といえる)」例で考えていきます。正直な話、選択と決定に「意志」があったかどうかは、当人いがいの他人が判別するのは難しいというのが、理由です。
鈴木の「意志」
サブタイトルを書きながら恥ずかしくなってきました。
私鈴木にはこんな「意志」にまつわる経験があります。
小学校1年生のとき
学校全体をまきこんで「幼稚園年長の子」が小学校の面白さをしるイベントをしたい!と企画したことがありました。「こんなことやってみたいんですけど」と先生に提案したことから、先生方に全面協力してもらって実現できた経験です。
この当時「やり遂げるぞ!」「実現してみるぞ!」と思いながら、準備にとりかかりました。今でもあれはたしかな「意志」だったんじゃないかと思っています。
やりたいと思ったことは、実現できるんだ!という原体験になっています。
こんなことができたのも当時の私は
・目立ちたがり
・お調子者
だったから、「先生に提案してみる」という選択をできたのだと思います。
そして小学校3年生で今度はネガティブな体験をしてしまいます。
お調子者の私が授業中にギャグを連発していたときです。
「おもしろくない」
「調子にのるな」
「お前、こんでいい」
「キモいんよ」
とクラスの子から言われ、仲間外れにされた経験がありました。
めちゃくちゃ悲しかったし悔しかったです。
「あ、、このままじゃアカン」と思い「お調子者」を封印しました。「調子にノりすぎると、たたかれる」ということを学んだのです(良くも悪くも)まさに出る杭が打たれた瞬間でした。
それからというもの、授業中にギャグを言うことも、先生にイベントを提案することもしなくなりました。「意志」をもって選択できなくなったのです。
「きらわれないようにしなきゃ」「調子にのりすぎないようにしなきゃ」「みんなが選ぶようなほうを…」と今思えば、相手の顔色をうかがうきっかけになった原体験です。

お気づきの方もいらっしゃるとは思いますが
「原体験」は「意志」に大きく関わりがあります。
原体験とは自分はこういう人間だ!を決める体験のことです。
↓こちらのブログで解説しています。
鈴木の原体験、小1の成功体験と小3のいじめられた体験が(すべての原因ではないですが)自分の「意志」をもつ選択に左右されます。
「意志」をもつきっかけになるのも原体験であり
「意志」をなくすきっかけになるのも原体験です。
本当にやってみたいだとか、本心から成しとげてみたいと思うことに対して、ポジティブな原体験はアクセルに、ネガティブな原体験はブレーキにもなります。
では、意志はどう育つ?
結論、「意志」をもつようになる(意志を育てる)ためには、ポジティブな原体験が必要です。
鈴木もずっと「調子にのること」「表現すること」を封印したわけではありません。ネガティブな体験以上にポジティブな体験を重ねました。おかげで「意志」をもった選択をできたと思っています。教員になることも、教員を辞めたことも、意志ある選択のうちの一つです。
「自分にはできた」
「他の人からよろこんでもらえた」
「みんなで達成した」
「むちゃくちゃ熱中した」
というポジティブな原体験を重ねていくことで、人はより「意志」のある選択をするんじゃないかと考えています。

では、「意志」を支える「ポジティブな原体験」はどうやったら得られるのでしょうか。
たとえば鈴木は小3以降結局「調子にのること」「表現すること」は封印しきれませんでした。
小4で学級新聞にマンガを描き、「おもしろい!」「次もっと描いて!」と言われ「おもしろいマンガを描きつづける」という選択をすることもできました。これ自体がポジティブな原体験になり、表現することに対して勇気をもつことができました。
「意志」をもって選択するから、ポジティブな原体験になるのだと思っています。
あれ、、結局のところ、、意志なのか原体験なのかどっちかわからなくなってきました。
さいごに
さて、長々と「意志」について考えてきましたがいったんまとめをします。
・「意志」ある選択をするということは背景に「ポジティブな原体験」がある
・「意志」ある選択をすると、それは「ポジティブな原体験」にもなる
原体験と意志はどうどうめぐりのようにつながっていくのだと今回は結論付けます。

そしてこのCAN!Pは原体験なるもの・「意志」ある選択の機会を提供しています。
・自然体験などの非日常で自分が「意志」をもって決める体験
・外国語をつかって人とコミュニケーションしようとする「意志」を育てる体験
・自分の気持ちや方法を模索しながら学習をすすめる「意志」をコントロールする体験
・他者と協力しながら同じゴールに向けて頑張ろうとする「意志」を育てる体験
・工作やクッキングなどのやりたいという「意志」を育てる体験
そのどれもが子どもたちにとっていい体験だったと言えるようこれからも活動に励みます!最後まで読んでいただき、ありがとうございました!